東日本大震災の被災地を中心として、一昨日の3月16日㈬午後11時36分頃、福島県沖を震源とした最大深度6強、マグニチュード7.4の地震が発生し、東京都内でも震度4の大きな揺れを記録しました。東日本大震災から11年の歳月が流れ、先日執り行われた「東日本大震災追悼復興祈念式」において、一日も早い復興に向けて誓いを新たにしたばかりのところに起きた今回の地震は、またしてもの現実に、暗澹たる思いから、嘆息が漏れて参ります。
この地震により、3月17日現在、宮城県、福島県で少なくとも2人がお亡くなりになり、両県を含む11県で151人以上の方々が負傷し、家屋や生活インフラの損壊、大規模停電、断水が生じ、避難所に向かわれた方も多く、皆様不安な夜を過ごされたと思います。
お亡くなりになられました方々に心からのお悔やみと、被害に遭われた方々に衷心よりお見舞い申し上げます。また、一日も早い復旧を祈念致します。
大震災以降幾度となく余震とも言える地震が発生しており、昨年2月にも福島県沖で今回と同規模の地震が発生しており、その度に家の片付けや修理に追われ、また辛い過去が思い出され、やるせない感情を胸に、事に当たられていると思います。私の親戚にあたる方で、現在は福島県富岡町から県庁所在地の福島市に移られている方が、一昨日の揺れで建物が損壊し、室内は様々な物が散乱し、大変恐い思いをしたと電話で話をされておりました。
専門家の方々の話によると、この地域は世界で最も地震活動が活発な領域の一つである日本海溝が、東日本沖の太平洋底の海岸線に並行して存在し、東日本大震災の震源と太平洋プレートのずれが大きかったのが、日本海溝の西側エリアであると伝えております。その影響で、この周辺での地震活動が活発になっていると言うことで、今後、日本海溝の東側で起きるアウターライズ(海溝外側の隆起帯)地震の可能性が高くなっていると言及されております。
また現在被災地では、自治体ごとに防災計画が策定され、併せて東日本大震災災害復興計画のもと、津波対策や除染作業が行われ、土地の造成、高台への移住、生活インフラの整備、鉄道の復旧など新たなまちづくりが進められておりますが、広範囲にわたり産業基盤が毀損されたことにより、雇用が喪失し、また避難により流出した住民が帰還されず、本格復興にはまだまだ時間を要すると思われます。
しかし、どんなに時間が掛かっても、まだまだ幾つもの課題や困難が懸念されようとも、私の親戚を含め地元の方々は、生まれ育った場所を大切にされ、そこで生活していきたいとの思いが強くあります。
また現在では、地元ではない方々が様々なご縁で復興に向けて共に立ち上がられており、新しい希望に満ちた未来を感じる動きが力強く始まっております。
どの被災地も、海や山、田園風景が美しく、人情味溢れる素晴らしい所ばかりです。私の父方の故郷である福島県富岡町も、この時期は、夜の森公園から旧富岡二中までの桜並木の桜が美しく、小浜海岸や富岡川、長閑な田園風景が懐かしい所でした。11年前の震災さえ無ければと思いますが、被災地の方々は、日々その思いに向き合い生活をされていることを考えると、胸が締め付けられるような思いになります。
私たちは、不条理とも言える現実をただ受け止めていかざるを得ない中で、それでもかつての美しく楽しい記憶を大切に紡ぎながら、次の世代に向けて、一人一人の素晴らしい古里を引き継いでいくことが求められているのだろうと、改めて感じさせられました。
私も昨年より地元自治体と連携して、福島県浜通り地域の復興再生事業のお手伝いをさせていただいておりますが、少しでも地域の方々の思いに寄り添わせていただきながら、持続可能な再生に向け、企業誘致が進みますよう祈念して取り組んでいきたいと思います。